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              oちゃん遺影
おおちゃんが亡くなりました。
12月3日でした。少し落ち着いて来ました。
花を愛し、自然を愛し、茶の湯を愛し、何より人との縁を愛した母でした。でも反面、車も80歳まで自分で運転したり、2種免許や小型船舶の免許を持ったりという、スーパー行動派母ちゃんでもありました。私たち家族は母の事を大きい母ちゃんという意味でおおちゃんと呼んでいました。でもここ5~6年前からは肝炎、肝硬変、最後は肝臓がんというお決まりのコースをたどり、兵庫区熊野町の家から、須磨の私たちと一緒に住むよう移って参りました。それからも入退院は繰り返しておりましたが、さいごは須磨の自宅で、訪問看護師さんや、訪問医の先生のお力を借りながら、在宅ホスピスという形で頑張ってくれました。本当に最後はかなり痛みもしんどさもきつかったと思うのですが、最後の最後まで、人間としての尊厳を失うことなく、私たちに大切なものを教えてくれました。亡くなる前の日、母の部屋で東京から帰ってきてくれていた在も一緒にお茶をしました。その時に、おおちゃんは本当に須磨に来て初めてかもしれません、『典子、家族ってええねえ、終わり良ければ、人生すべて良しやねえ、もし私が夜の間とかに1人死んでも、ごめんな、お礼もさよならも、言えんでも、私の気持ちは分かってくれるね』って。次の日、おおちゃんは『あー、良く寝たわー、昨日あんなに、楽しかったからやねー』って目を覚まし、それから一足早いクリスマスパーティを楽しみました。ベッドでピースしてる写真、亡くなる2時間半前なんて信じられません。夜にはルミナリエ・ドライブ行こうねって。でもその約束は果たせませんでした。その夕方、自分の人生に幕をおろしました。見事でした。それも最期は私の主人に看取られて。大好きだった姉の恵子や弟の親司、枚方のおじいちゃん、おばあちゃんにもう会えたでしょうか。母の命を支えて下さったすべての皆様、枚方の伯父、叔母、また家族のみんな、特に主人には心よりお礼申します。ほんとうにありがとうございました。

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